06.2.18
永禄3年(1560)開基、当地の鎮守神明社の神宮寺を司り、現境内の西、社の山裾に堂宇を構えていた。
12代を経て宝全寺に合併したが、廃寺を惜しむ声が高まり、明治36年(1903)静岡県榛原の西光寺の寺号のみを譲り受けて復興、 大正10年(1921)寺号を旧の相持院に改称した、そのため地元では西光寺と呼ばれていて、混乱することがある。
本尊の地蔵菩薩は説に室町時代作。別堂に弘法大師画像(鎌倉時代作)を掲げる。
鐘楼堂の梵鐘は知多半島では最大級という。知多四国八十八所遍路より
相持院を出てさっき下りた坂を登り、右に行きます、ユニーの右を通り、新瀬木橋を渡った先が常滑東小ですからここで右、 次左折して進めば左手に12日に行った民俗資料館が見えますが、もう少し先が
寺伝では御嶽三百坊の一院、時代は定かではないが、養春上人が御嶽山より十一面観音を移して堂宇を創建した。
その後、文明元年(1469)常滑城初代城主・水野監物忠綱が、子息興覚法印を擁して六坊を再建、観連寺と号した、 大善院はその本坊、常滑城の鬼門にあたり、寺の鎮守・牛頭天王社とともに常滑城の祈願所として栄えたという。
大善院を出て行けば、奥条6の信号ですが、コースはその手前で左折し、突き当たって右、次V字に戻り、国道247号に出て右、 右側の歩道を進みます、三反田の信号を過ぎ、西阿野の信号で反対側に渡って少し逆行した先に
白鳳12年、行基菩薩が天武天皇の勅願寺として開創されたと伝えられる天台宗の古刹である。 往古は七堂伽藍に御嶽三百坊といわれる大寺院であった。知多四国八十八所遍路より
県指定文化財
本尊:木造聖観世音菩薩立像(平安時代)
木造阿弥陀如来立像(平安時代)
木造仁王像(鎌倉時代)池の中から出てきた仁王様
御嶽の池の中から引き上げられた仁王様を樽水洞雲寺へ運ぼうとしたがどうしても動かず、 アこれは高讃寺の仁王様だと気づき、高讃寺へ運ぶことにしたら軽く動いたということです。
これは戦国時代に戦火をのがれて池の中に隠した仁王様のようです。案内標識より
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| 高讃寺仁王門 | ||
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| 高讃寺 | |
高讃寺を出たらまた西阿野の信号まで行き、また逆行して左に行きます。
こういう時、大抵何人かは強引に横断する人がいるものですが、今日は一人もいないのでおかしいなと思っていたら、
両側にちゃんと番人がいて誘導してました。
七社神社の前を通り、道なりに左折し水路に出て右、水路の右側を行きます。十字路で右、突き当たって左、
しばらく行くと右手に
御嶽三百坊と称した高讃寺の一院であろう。後年御嶽の池の改修などに当たっていた折、 池中より拾い出された阿弥陀如来像が、本尊である。
弘治元年(1555)の開創、開山は善海上人。知多四国八十八所遍路より
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| 洞雲寺 | |
洞雲寺はずっと以前HPで知って、一度行って見たいと思っていたのですが、 なかなか機会が無く、今日やっと参拝することができました。
寺を出て突き当たって左、すぐ右、次左で再び国道247号に出ます。ここで右折、樽水4の信号を過ぎ、
山方町4の信号を過ぎた先右手に常滑高、続いてトイレパークがあります。暖かい時はトイレの必要はないのですが、
寒いとどうしても途中で寄っていかなければなりません、途中のお寺にもありますが、どこもかしこも満員で列が出来ていました。
奥条4の信号で左、すぐ右手斜めの道に入って行きます。川の手前で右折すればすぐ左が
寺伝では天正元年(1573)創建、その後は不詳。
境内に立ち並ぶ別堂群は明治維新後、近隣廃寺の諸堂を移築したものという。知多四国八十八所遍路より
ここも12日に行ってますから前を素どうりしました。
この後は狭い道を抜けて、神明社前、栄町1、警察署東の信号を過ぎ、ゴールの常滑駅に着きます。
参考文献
真野由季江著 知多四国八十八箇所めぐり 祥伝社
冨永 航平著 知多四国八十八所遍路 知多四国霊場会・編
知多四国めぐり 半田中央印刷株式会社編集・発行
11日に続いてまた常滑で、風の強い寒い1日でした。今日も帰ってからの遅い昼飯になってしまいました。
それにしても常滑というところは坂が多く、道が狭くって大変ですね。