08.6.15
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| 大高駅前 | 弘法堂 |
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| 長寿寺 | |
長寿寺(臨済宗永源寺派)長寿寺を出て元の道を進み、中屋敷の信号を過ぎて、次の十字路を行けば鳴海八幡宮の看板がありますから、 ここで左、真っ直ぐ進めば
本尊:阿弥陀如来、別堂:柳薬師如来、聖観世音
開基:長寿院殿橘氏源操尼公
開山:石梯道雲
もとは真言宗長祐寺と称したが、永禄3年(1560)鷲津砦の兵火により焼失した。
江戸時代、大高領主志水忠継の母長寿院は黄壁宗への信仰厚く、その臨終に際し、 この地に禅寺の建立を孫忠時に遺命した。天和2年(1682)伽藍竣工し、この時宗派を黄壁宗に、 寺号を長寿寺に改めた、今の宗派になったのは、元禄4年(1691)石梯道雲のときである。案内標識より
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| 鳴海八幡宮 | |
ここに幹まわり8mという大きな楠があります。
八幡宮の前で右折し、用水路の手前で左、用水路の右を行きます、突き当って用水路を越え、
すぐ左、次右、すぐ左、まどか荘の角で左、次左で、左手に
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| 明忠院 | |
山門の前を右(しばらく登りが続きます)、突き当って左、また突き当って左、歩道橋を通り、 突き当って右、保育園の右手を登って行けば
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| 鷲津砦碑 | 大高城跡公園 |
鷲津砦跡
永禄2年(1559)織田信長が今川義元に攻略された大高城に対抗するため、大高城の北東約700mの丘陵上に築いた。 この砦は大高城を頂点として、丸根砦とともに二等辺三角形の底辺の両端に位置している。
永禄3年(1560)5月19日、桶狭間の戦いのとき、飯尾定宗らがたてこもり、 今川方の重臣朝比奈泰能の軍勢に攻め立てられて全滅したといわれる。
大高城跡やま丸根砦跡とともに、国の史跡に指定されている。案内標識より
この先、道が錯綜してますが、JR線路の左を進みます、途中西丸根と砦前の信号の間右手に、
丸根砦跡がありますが、案内標識を写すだけで通り過ぎました。
丸根砦跡
大高城が今川義元の手に落ちた後、織田信長によって大高城を包囲するように築かれた砦の一つで、 永禄2年(1559)、大高城の東側約800m、鳴海から延びる丘陵の先端に築かれた。
当時の今川方の基地である、豊明の沓掛城から大高城への支援路を見下ろす位置にあり、 現況は東西36m、南北28mの砦の周囲に幅3.6mの外堀を廻らしている。
桶狭間の戦いのときには、佐久間盛重を将とした織田方が立てこもったが、 大高城への兵糧入れを命じられた松平元康(徳川家康)が鉄砲を用いて攻撃し、 激戦の後守備側は全滅したといわれる。
大高城跡とともに昭和13年(1938)、国の指定史跡とされている、現在砦跡には 「丸根砦跡」の碑石が立っている。案内標識より
大平戸の信号で右、サークルKの角で右、 大高中の左を通り、突き当って右、菊井橋の手前で左、大高川の左を行きます、山本橋の前で左、 突き当って右、次左、次左の狭い道に入って行けば
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| 春江院 | |
春江院を出て元の道に戻り、左、高速道路の手前で左、道路の左を進み、右手に高速道路下のトンネルがありますから、 そこを通って右、もう一度右手のトンネルの下を通って左、しばらく進めば、平野池の向うに
氷上姉子神社(ひがみあねご神社)
熱田神宮摂社で、祭神は宮簾媛命。「寛平熱田縁起」のよれば、日本武尊を建稲種命が 火上(現大高町)にお迎えした時、妹の宮簾媛を后とされ、東征の帰途にも立ち寄られ、 草薙剣を留めおかれたという。
仲哀天皇4年、館跡に社殿を設けて媛を祀ったのが起源で、持統天皇4年( 690)に現在地に移ったと言われる。
なお、当神社は昔から「お氷上さん」と親しく呼ばれ、尾張氏の祖神として、大高町はもとより、 広く当地一円の人々から厚い崇敬を集めている。案内標識より
神社を出て、少し先で右、道なりに進んでやや広い道に出て左、広い道に出て右、すぐ先の国道23号で左、
名古屋高速の左を少し行けば、歩道橋がありますから名古屋高速の右に出ます、三つ目のT字路で右、
その先右手に山盛酒造があります、ここで試飲をして(たった5mmしかはいってないと言って、
ぼやいている人もいました)「桶狭間」というお酒を1本買ってきました。
山盛酒造の前を過ぎ、大高川を念仏橋で越え、つき当たって右、つき当たって左に進めばJR大高駅です。